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2011/07/26

アナログテレビ終了

 アナログテレビが終了した。

 以前の記事に書いたとおり、私はアナログカラーテレビの修理技術を学んでいたことがある。

 その後、オーディオメーカーに就職したので、テレビを修理することはあまりなかったけれど、テレビチューナーという装置はは何度か修理した。
 オーディオコンポに組み込んで、テレビの音声だけをステレオから聞く装置だ。もちろんテレビ画像を見ることは出来ない。

 当時のテレビはあまり良いスピーカーを使っていなかったから、ステレオからテレビの音声を聞くと迫力のある高音質を聞くことが出来た。そこで、オーディオコンポの一部としてテレビチューナーというオプション装置が存在していた。(当時のFMチューナーはテレビの周波数を聞くことが出来なかった)

 今日の読売新聞を読んでいたら、アナログテレビが終了するのに伴って、視覚障害者の方が利用していたアナログテレビチューナーや、FMラジオで聞くことが出来たテレビ音声を今後は聞くことが出来なくなる、という記事が載っていた。

 アナログテレビの音声はFMなので、周波数さえ合えばFMラジオで聞くことが出来た。しかしデジタルだとそうはいかない。

 これを読んで、30年近く前、視覚障害者の方のお宅に伺って、アナログテレビチューナーを修理したことを思い出した。

 おそるおそる、

 「目がご不自由でらっしゃいますけど、テレビの音声をお聴きになるのですか?」

 と聞いたところ、意外にも

 「いやあ、これが楽しみなんですよ。ラジオじゃなくてテレビの音声のほうがいいんです。色々想像出来るしね。壊れちゃうとほんとに困っちゃいます。」

 とニコニコ笑いながらおっしゃっていたのを思い出す。

 修理が終わると、それはもう上機嫌で感謝の言葉をおっしゃっていただいた。

 いまデジタルチューナーを購入すれば、そこからデジタルテレビの音声を聞くことが出来る。でもデジタルチューナーの価格は高騰していて、下手をすると数ヶ月前の倍、二万円くらいになっている。
 総務省ではデジタルテレビを見ることが出来ない世帯に数ヶ月間だけ無料でデジタルチューナーを貸し出すというけれど、その後はどうなるのだろうか。

 そんなこんなを考えると、電波行政の都合で、視覚障害者の世帯にいらぬ出費を強いるってのはどんなもんなのだろうかと思ったりする。

※MIXI 日記から転載
2007/05/13

テレビ

 を東芝の液晶のやつに買い換えて半月あまりになる。

 私はいままでテレビ番組をあんまり見ること無かったけれど、テレビを買い換えてからは深夜に良く見るようになった。ハードディスク付きなので、録画が便利。ハイビジョンも思った以上に奇麗。購入価格は実質14万円台だったので、久しぶりに良い買い物をしたと悦に入っている。

 私は高校卒業後、とりあえず手に職を付けたいと思って専門学校に入っている。学科はオーディオ技術科というところだが、もともとはテレビ関係の技術を教える学科から分科したところなので、ひととおりのテレビ技術を学んだ。

 入学したのは1981年だったが、当時はデジタルテレビ放送のデの字もなく、とにかくアナログテレビの構造を叩き込まれた。
 昔の壊れたテレビをゴミ置き場などで見たことのある人なら分かると思うけれど、とにかく昔のテレビの内部は部品がごちゃごちゃと並んでいてやたら数が多かった。私たちは一年間かけてその回路をほとんど暗記するまで学んで、動作原理を詰め込んだ。修理実習では先生がわざと故障させたテレビをいかに早く修理できるかストップウォッチ片手に試験に臨んだ。

 アナログテレビは確かに古臭い。でもアナログカラーテレビの伝送方式は実はスゴイのである。考案されたのは1953年である。当時の先端技術だったのだ。先端技術であればこそ、それを修理できることはスゴイことで、町の電気屋さんの息子はこぞって専門学校に入ってテレビ修理技術を習得していたのである。

 少々マニアックな話になるが、アナログテレビは、白黒映像は振幅変調(AM)、音声は周波数変調(FM)、色は位相変調(PM)と3つの伝送方式を組み合わせているのである。ブラウン管の電圧に至っては数万ボルトに達するので、非常に危険でなんというか男くさい技術なのである。
 その回路に至っては、これはもう哲学体系と比すべきシステムであって、ちょっとやそっとのトウシロウでは理解不能なのである。

しかも、アナログカラーテレビは、アナログ白黒テレビと互換があった。カラー放送になったからといって、白黒テレビを白黒で見る限り買い換える必要はなかったし、カラーテレビでも白黒放送を見ることは出来た。デジタルテレビは買い換えないといけない。

 そのアナログテレビだが、あともう少しで絶滅してしまうという。複雑な思いだ。おそらく、デジタルテレビをまともに修理できる町の電気屋さんは少ないだろう。リサイクル社会と言って、リサイクル料金だけは取られるが、それよりも同じテレビを修理しつつ長く使っていける社会のほうがよほどリサイクル社会だろうに。

 と思いつつ、新しいテレビに満足している自分が悔しいのである。

※MIXI日記より転載