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2020/09/22

風の谷のナウシカと手塚治虫

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 宮崎駿原作の「風の谷のナウシカ」と手塚治虫について語りたくなった。僕は宮崎駿についても、手塚治虫についても、大して知っているわけではないので、評論家のように語ることはできないけれど、とりあえずいちファンとして思ったことを語りたいと思う。

 「風の谷のナウシカ」は、約40年前、僕がまだ10代の頃に「アニメージュ」という雑誌に漫画原作の連載が始まり、20代になってから映画として発表された。割と多感な時期だったこともあり、いまだに強い印象が残っている。

 「風の谷のナウシカ」単行本第一巻の最後には、宮崎駿のあとがきがあり、「ギリシア神話小辞典(バーナード・エヴスリン)」中で紹介されているナウシカと、平安時代に書かれた「堤中納言物語」中にある「虫愛ずる姫君」という物語の姫君とが、宮崎駿の中で混然一体となって、自分流のナウシカを描きたくなった、とある。

 「虫愛ずる姫君」は、毛虫をはじめ虫を好んで、自身の眉も髪も歯も、世間の常識には囚われないで自由に生きる姫君の姿が描かれている。この姫君の姿は、のち高畑勲監督が描いた「かぐや姫の物語」のかぐや姫とも重なる。

 ところが僕は、虫を愛する姫君としてのナウシカにはもうひとつ、当てつけに近いような強力なメッセージがあるように思う。手塚治虫へのメッセージだ。

 少年時代の手塚治虫が虫好きであったことは自身の漫画でも描かれているので、割と知られた事実だ。毎日のように裏山へ行っては虫を捕まえ、細密なスケッチを多数残していたという。あまりに虫が好きなので、ペンネームには「治」の本名に虫をつけて「治虫」という名にしたという。

 かなり以前、手塚治虫の幼少期を描いた実写版のドラマがあって、なんとなく見ていたら、「治の裏山遊びも無駄ではなかったということかな」というセリフがあった。確かお父さんのセリフだったと思うが、ふと、これ、どこかで聞いたことがあるようなセリフだな、と考えて、思い当たったのが「ナウシカ」の「姫様の腐海遊びも無駄ではなかったということですな」というセリフだった。

 思えば、手塚治虫は「虫愛ずる少年」だったではないか。
 手塚治虫は映画「風の谷のナウシカ」を観ていた。観た直後の様子は、漫画家の石坂啓が「先生はものすごく不機嫌で、とても怖い顔をして一言も言葉を発しませんでした。」と漫画評論誌に語っていたことを良く覚えている。おそらく手塚治虫は相当悔しかったのだと思う。

 日本のアニメにおける手塚治虫の功罪は、さんざん言われていることなので、簡単に言えば、アニメのテレビ参入のために日本のアニメ制作の単価を下げ、アニメの質を落とした張本人と言われている。と同時に、そのおかげでテレビではアニメが溢れ、それまで映画館でしか見ることが出来なかったアニメの大衆化を一気に推し進めた。

 いっぽうの宮崎駿は手塚のアニメ参入前から、質の高かった日本のアニメ映画制作に携わっていたので、その影響をモロに受けた人だ。結局宮崎もその後、テレビアニメで活躍することになるが、忸怩たる思いはあったのだと思う。宮崎は少年時代から手塚の影響を受けた多くの絵を描いていたが、あるとき、それを全て破り捨てたという。手塚の影響を断ち切りたかったのではないかと思う。

 手塚治虫は元々ディズニーアニメのファンで、漫画のキャラクターやそのしぐさにもディズニーの影響が見て取れる。しかし限られた予算でもって毎週のように放送しなければならないテレビアニメでは、ディズニーのようなクオリティを出すことは出来ない。カクカクした動きの、時には紙芝居のようなクオリティでもよしとするしかなかった。僕ががっかりしたのは、手塚漫画の傑作「火の鳥」のアニメもまた、素人目にもはっきり分かるカクカクした質の良くないアニメになっていたことだった。

 「風の谷のナウシカ」は、宮崎駿の原作を、最初から映画として発表するために作られた作品で、言うまでもなく高いクオリティを持つ作品だ。まだジブリはなく、徳間書店が製作の主体となった。当時、僕の友人が徳間書店のシステム部門に常駐して仕事をしていて、ちょうど「ナウシカ」の製作時期だった。当時の徳間書店の社員旅行のタイトルは「頑張れナウシカちゃんツアー」だったと聞いた。社内を挙げて盛り上げようとしていたようだ。その中には、ジブリの鈴木敏夫も居たはずである。

 「虫愛ずる少年」だった手塚治虫にとっては、自分よりも後輩の宮崎駿が、まるで当てつけるがごとく高いクオリティの作品を作ったことは悔しくてたまらなかったことは想像にかたくない。手塚治虫はその天真爛漫な笑顔とは裏腹に、常に自分がナンバー・ワンでなければ気が済まない性格であったことは水木しげるも語っているところでもある。後輩に対してもライバル心をむき出しにすることがあり、漫画賞の授与の際にも、新人に賞を渡しながら「僕は本気になれば君みたいな絵も描けるんだよ」と言ったりしていたという。

 手塚が没してから約30年。「ナウシカ」の連載が始まったのは40年近く前になる。自分が歳を取ってしまったことを実感するが、逆に今だからこんなことを記してもいいかと思い、綴ってみた。

2013/12/24

かぐや姫

 昨日、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を見た。

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 いい作品だった。見終わった後、なんとなく、子どもの頃の夏休みに町内会で見た16mm映画の「かさじぞう」を思い出した。何故思い出したのかは、よく分からない。生真面目な昔話の映画だったからだろうか。

 ストーリーは、良く知られている「竹取物語」から大きく外れることもなく、意外性はなかった。映像は、ひたすら美しく、絵巻物のよう。シロウトだけれど、この絵を描いて動かすのは大変だったろうなと思う。でも見ていて疲れることは無かった。描かれていた線が柔らかい、筆のようなタッチだったからかもしれない。

 どちらかというと、日本人より、外国人が喜ぶのではないかとも思った。

 印象に残ったのは、劇中歌。高畑監督が作ったらしい。曲は、ふたつあって、ひとつは「こきりこ節」などと同じ、長調、陽の節回しの田舎節。もうひとつは、演歌と同じ短調、陰の節回しの都節。田舎と都、ふたつの生活はこの映画のテーマでもある。

 もうひとつは、月からの使者。大きな雲に乗った仏を中心に、にぎにぎしく楽を奏でる天人・天女。本当に絵巻物のようだった。楽の音も、澄んだエレクトリカルなもので、ああこれは今までのわしのイメージどおりだなと思う。

 一家で見に行ったのだけれど、夫婦どちらかが50歳を越えていると、ひとり1000円という料金になっていて、入場には身分証でも確認するのかなと思っていて、免許証を用意していたら、私の顔とアタマを見て顔パスだったのがちょっと悔しかった。
2013/08/11

風立ちぬ

 一家で「風立ちぬ」を見てきた。
 とても良かった。ワタシも戦争嫌いの兵器好き、日本で物作りしている端くれなので、色んな意味でタマらない場面盛りだくさんだった。
 カミさんは何故か最初から泣きっぱなしだったらしい。わしもラストで泣きました。中3と小3の子供たちは、少々退屈だった様子。
 夢のシーンとリアルなシーンとの往復が絶妙。夢のシーンは宮崎監督の内的世界そのものなんだろうな、と思う。宮崎作品は、最近どうも見ていて疲れるな、と思うことが多かったのだけれど、この作品は力を抜いて安心して見ることが出来た。
 帰りの車の中で、カミさんが「シベリア」という三角のお菓子を知っていることに感心する。ワタシは知りませんでした。
2012/08/28

おおかみこどもの雨と雪

一昨日の日曜日に一家で見てきました「おおかみこどもの雨と雪」

おおかみこどもの雨と雪


 良かったですねー。思わずプログラム買ってしまいました。

 はっきり言ってかなり涙を流しまして、子どもらに悟られないように涙をぬぐわないでいたら、映画が終わった時には、首のあたりで集まった涙がポロシャツの襟をぐっしょり濡らしていました。襟首掴んでバタバタやって、「ああ、今日もクソ暑いなチクショー!」って感じです。

 最近の宮崎アニメより良かったな。最近の宮崎アニメはいろんなところを作りこんでいて見ていて疲れます。でもこの映画、凝った作りをしていない分、お話の面白さを味わうことが出来ました。

 お話は、基本的に昔話に良くある異類婚譚、ファンタジーですけど、現代の都会や田舎での子育てシーンが織り交ざって、話を身近な面白いものにしていました。
 この映画の監督さん自身は、子育ての経験が無いそうです。私も、ほんの一部しか子育てには参加していませんでしたが、色んなシーンで子どもたちの小さい頃が思い出されるような、はっとするリアルな描写があって感慨深かったです。映画を作る上ではなまじの経験より、卓越した想像力と観察力なんでしょうね。

 映画を見終わって、家族の前での感想は「良かったねえ」しか出て来ませんでした。見終わったばかりで感動が続いているところ、自分自身で野暮な批評なんざ言いたくなかったし。

 ただ、今改めて映画を思い返すと、リアルなシーンもたくさんあったけれど、全体としては素晴らしいファンタジー映画だったのかなと思います。子育ても、子どもが大きくなれば、小さい頃が夢のようですが、まさに映画ではその夢を描いていたのかもしれないとも思います。きょうだい喧嘩のシーンや雪の上を駆けまわるシーンなど、かなり大げさで誇張されてますが、これが母親の心象風景だとしたら、なんの不思議もありません。
 それと、下世話ながら思ってしまったのは、父親が異類であるオオカミということ、それを秘密にしなければならないこと、というのは、どんな隠喩なのだろうかということです。異民族、被差別、病気、家系、離別、、、単純に当てはめていくのはお馬鹿なことですが、ついそんなことを考えてしまうだけの話の深みがあったと感じます。

 この映画は、ちょいと絶賛したいです。

※MIXI日記から転載
2012/08/22

「ディズニーと宮崎アニメ:ヒロインから見た文化論」を読んでみた

「ディズニーと宮崎アニメ:ヒロインから見た文化論」を読んだ。
http://wired.jp/2012/08/16/disney-vs-miyazaki/

 最高ですねえ。(笑)

 しかもこいつを書いてるのは外国人。父親の自分目線で語っているのが本音っぽくていいね。全く同感だぁね。

 お伽話というのはパターンであって、元型の立ち現れる場所なのだから、とか俺らの頃は言われていたけど、現実生活やってりゃ、そんな教科書的な知識なんぞどうでも良くなる(笑)。

 まあ そういうお伽話がぴったり来ちゃう危機的な方も居ることは理解出来ますが、正直自分の娘にはぴったり来て欲しくないなぁ、なんて思っていたのだけれど、溜飲が下がった感じがします。

 (ただし危機的なときにそういうお伽話がぴったり来たことで、それが転機になる方がいることはホントだと思いますが。)

 改めて思うのは、日本人の普通の感覚っていうのは、元々結構グローバルなものなのかもしれないということデスネ。河合隼雄大先生は、日本という特殊な地域における心理療法ということで頑張ってられたみたいですが、なんかそれって逆バイアスな気もします。逆風もさんざんあったのでしょうが。

 カミさんとこれについてちょっと話して、なんかとても面白かった。
 そんなことを論じ合ってる時点で、既に我々は王子様とお姫様じゃなくて、ちゃんと考えることの出来る意識を持った相棒になったんかなぁ、ってところが、ちょいと再確認出来た感じもする。なんか、自分でも、もちょっと考えたいなぁと思う。

※MIXI日記から転載