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2014/01/12

オーディオと生活のバランス

 以前、西岸良平の「三丁目の夕日」シリーズで、オーディオマニアの若い工員さんの話があった。食うモノもろくに食わずにお金を貯め、高いオーディオ機器を買うことが生き甲斐。自宅は木造アパートの小さな和室。
 そこにものすごく豪勢なオーディオ機器が置いてある。それでも飽き足らずに、さらに高級なオーディオ機器を買うべく、ついに昼飯まで切り詰める始末。

 とうとう栄養不足で職場で意識を失い、入院。入院先の病院で目覚めた彼は、病室の窓から聞こえてくる鳥のさえずりに耳を傾けながら、オーディオにのめりこんでいた自分を省みる。ああ、なんて自分はバカだったのだろうかと。

 退院した彼は・・・・・オーディオマニアではなく生録マニアになって鳥の声を録りまくるようになった、というオチだった。

 実際、70年代のステレオブームの頃には、そんな感じの若い人が結構いた。四畳半の和室に、釣り合わないくらい大きなステレオ装置を買い込み、好きなレコードを自宅で聴く。私の子どもの頃、同じアパート隣の部屋に住んでいた男性もそうだった。遊びに行くと自慢気にステレオとレコードのことを教えてくれた。

 趣味ではなく、仕事としてオーディオ機器を修理するようになったのは1983年だったけれど、外回りで色々なお宅に伺うと、やはりそんな感じのオーディオ好きに出会うことが良くあった。

 狭い和室に、とんでもなく大きなJBLのスピーカー。100Wのアンプ。何十キロもあるレコードプレーヤーが部屋を占拠している学生さん。修理が終わって、テストのために音出ししようと私がボリウムを上げると、

 「あああ!やめて下さい。」

 青い顔をしてボリウムを下げるユーザーさん。聞けば隣の部屋に音が筒抜けなので、大きな音が出せないという。巨大なJBLのスピーカーを、いつも蚊の鳴くような音で聞いているとのこと。

 「うーん。勿体ないですねえ。」

 思わず私がつぶやいてしまうと、

 「いや。そのうちにこのステレオがガンガン聴ける部屋に引っ越すのが夢ですし、それが目標なんです。」

 なるほど。それは確かに自己啓発のためにいいことをしているのかもしれないですねとその場では納得したのだった。東大生と言っていたので、たぶんその夢は果たせたのではないかと思う。

 しかし冷静に考えると、西岸良平の漫画ではないけれど、生活とオーディオ趣味とのバランスが良くないなあと思った。将来に向けて今から立派な機械を買っておくのはいいけれど、「今ここで」音楽が楽しめないというのは、どんなものなのだろうと思った。

 3年間の修理業務では、そのユーザーさんだけでなく、他にも沢山のバランスがよろしくないなと思うユーザーさんに多数出会った。そうしたユーザーさんに限って、持っているレコードは少なく、松田聖子とかサザンオールスターズとか、歌謡曲のレコードが多かった。

 逆に、素晴らしくバランスの取れた、いい音を出している客先に出会って目からウロコが落ちたこともあった。

 ユーザーは原宿のブティック。変形した三角形になっているような間取りの店。床はフローリングで音が良く響く環境だった。カセットテープデッキの修理が終わって、テストのために音を出してみた。

 アンプはQUADのミニアンプ。スピーカーはBOSEの101という小型スピーカーを天井から吊してあった。QUADは高級ブランドだけれど、ミニアンプだからスペックじたいは大したものではなく、BOSEのスピーカーも安価でどこでも入手できた普及機だった。

 音質にはまったく期待していなかっただけに、実際に出てきた音を聞いたときには驚いた。カルテットのジャズだったけれど、残響の強い部屋全体に音が自然に広がり、どこに居ても心地よい音が聞けた。もちろん、音場の定位はあやふやだったけれど、そこで楽器が鳴っている、という感じ、それぞれの楽器のセパレーションはあって、フレーズもよく聴き取れた。何より、音に品があった。

 店長さんは不在だったので詳しいことは分からなかったけれど、QUADのアンプを導入するくらいだから、おそらくオーディオのことをよく知っている人が機器のセッティングをしたのだと思う。
 小さなオーディオシステムでも、部屋とのバランス、生活(業務)とのバランスが取れていれば、本当にいい音が出るのだなということを実感したのだった。

 オーディオシステムのうち一番大事なバーツはスピーカーでもアンプでもなく、やはり生活の場としての部屋だと思う。趣味なのだから何をしようと、何にのめり込もうと自由だと思う。思うけれど、生活の場としての部屋とのバランスが取れていないオーディオ趣味には品が無いと個人的には思うのだ。
2014/01/08

ワープロ喫茶

 冗談みたいな話だけれど、1980年台前半、ワープロ喫茶というのがあった。

 喫茶店のコーナーにワーブロ専用機が置かれていて、時間あたりの料金を払ってワープロを使わせてもらう、というものだった。まだワープロがまだ一般に普及していない時期で、ワープロ専用機が何十万もしたのでそんな商売も成り立ったのだろうと思う。

 私も何度か御茶ノ水の喫茶店ルノワールにあったワープロを使わせてもらった。まだ20歳くらいの頃だ。ワープロ用紙代やフロッピー代別で、30分で500円くらいだったと思う。混んでいると恥ずかしいので、空いている時間帯を狙って行った。

 ワープロは富士通のOASIS。グリーン単色のCRTモニタに親指シフトキーボード。本体は今のデスクトップバソコンほどの大きさ。それが初めて触ったワープロだった。

 初めて触るのだから、当然使い方は分からない。取扱説明書を読んでいるだけであっという間に時間が過ぎてしまう。それでも四苦八苦してモニタ上に漢字の単語が出てくると、結構感動した。
 電子化された文章、というのがやたら魅力的で、これからは私のような悪筆でも、好きなようにカーソルを動かして活字を切った張ったが出来る時代になるのかと思うと、嬉しくてしょうがなかった記憶がある。当時、学校で配られるプリントや、会社で作成される文書もほとんどが手書きだった。

 しかし、キーボードが親指シフトキーボードという特殊なものだったのには困った。自宅ではTK-80BSというバソコンの元祖みたいな機械を友人から借りて使っていたので、JIS配列ならそのまま打てたけれど、キーの配列が違いすぎて文字を探すのが一苦労。
 それでも、親指シフトキーボードが合理的な配列であることは少し使ってみてよく分かった。これに慣れて、バチバチ打てるようになったら最高だろうなと思った。

 紆余曲折はあったけれど、現在また親指シフトキーボードの配列でこの文章を打っている。これも、最初に触ったワープロが親指シフトキーボードだったということと無縁ではないと思う。
2014/01/07

オーディオメーカーの意地

 1984年の出来事だったと思う。私がまだオーディオ機器の修理の仕事をしていた頃、あるオーディオメーカーのプライドを見たことがある。

 時代はちょうど、オーディオ専門メーカーが映像機器を作り始めた頃だった。今で言うピュアオーディオからAV機器へと移行していく時期だった。当時、家庭で動画を見るには、アナログのビデオテープかビデオディスクだった。
 ちょうどその頃、それまで音質が悪かった家庭用のビデオテープでも、HiFi(高音質)の記録が出来るビデオデッキが発売されるようになった。

 そして、とある総合家電メーカー(仮にS社としておく)が作ったHiFiタイプのビデオレコーダーを、P社というオーディオメーカーがOEMとして販売することになった。OEMとは提供元のメーカーが製作した製品を、提供先のメーカーが自社のブランドを付けて売ることだ。

 当時、P社はビデオディスクプレーヤーを作っていたけれどビデオテープレコーダーは作っておらず、S社はビデオテープレコーダーを作っていたけれどビデオディスクプレーヤーは作っていなかった。そこで、お互いがお互いの製品をOEMとして供給しあうことになったのだった。

 仕事先で、そのビデオレコーダーの中身と修理マニュアルを見た私は驚いた。

 通常、OEMと言えば、外から見える外装だけを変え、外から見えない中身はそのままにする。しかし、音声基板(オーディオ再生用の基板)だけがP社製だったのだ。

 修理マニュアルも2冊あり、ひとつはS社で作られたもの。もうひとつはP社で作られた音声基板だけのマュアルが付いていた。
 一般に気づかれにくい中身の一部を変えても、余計なコストと手間がかかるだけ。修理だって面倒だ。当時でも驚いたけれど、今ではまったく考えられないことだ。

 実は当時のS社の音質というのは結構ヒドかった。当時のオーディオ評論家の大多数はメーカーの太鼓持ちばかりだったので、S社製品にはそれなりの評価を下していたけれど、歯に衣着せぬオーディオ評論家はS社の音響技術者は耳が悪いのではないかとまで言っていた。現在ではそうではないと思うけれど、当時は機械的というか、奥行きの無いキンキンした音がS社のオーディオ音質の特徴だった。

 おそらくそれでは、オーディオ専門メーカーとしてのP社の技術者たちのプライドが許さなかったのではないか。
 あるいは、お互いにOEM供給しあった製品については、自社で改良を加えても良いという取り決めがあったのかもしれない。(将来的に全てを自社で生産するためのステップとして)

 いずれにしても、P社のビデオデッキは音声(オーディオ)部分だけがP社製として出荷された。
 P社とS社の間でどんな取り決めがあったかは、一介の修理屋だった私には分からない。ただ実際にビデオデッキの内部を見たときは、P社の技術者たちのプライドと意地を感じたことは確かだ。

 しかし、P社のHiFiビデオデッキの音質がS社と違う、ということは、一般には知らされず、宣伝文句にも載ることはなかった。また、雑誌を見てもP社とS社の音質が違うことを指摘したオーディオ評論家はいなかった。
 今のネット社会なら情報は拡散したかもしれないが、ほとんどそのことは消費者に知られることなく、P社のHiFiビデオデッキの販売台数は伸び悩み、結局生産中止となった。

 メーカーとしての意地とかプライドというのは、実際に開発技術者に会ってハナシを聞いたわけではないので、私の単なる主観であるし思い込みであるかもしれない。しかし、誰にも知られることなく音声(オーディオ)基板に改良が加えられたという30年前の事実は、今語っておきたい気がするのだ。