STAP細胞騒ぎと無意識的錯誤行為
STAP細胞の小保方さんの会見を見た。
仕事で、iPS細胞がらみの装置の開発を断続的にやっていることもあって、4月9日の午後はネットに次々にアップされる小保方さんの会見や質疑応答の内容をテキストで見ていて、その日の夜、YouTube にアップされた録音を聴いた。
「頑張って研究しています。」という熱意だけは感じられた。ある意味いわゆる精神論。
「頑張ってますで通じるのは小学生まで。社会人なら結果を出せ。」新人の頃言われたことを思い出した。もちろん、小保方さんにそんなことを言うつもりも資格も私にはない。ただ、今問題になっているのはその結果としての冷徹な科学論文であって、情熱にあふれた、俗に言う精神論ではないのになとは思った。
と、そこで、以前に読んだユングとパウリの共著「自然現象と心の構造 - 非因果的連関の原理 - 」が読みたくなったので読み返してみた。
オカルト理論として悪名高い共時性(シンクロニシティ)について書かれている本だ。正直言って、今の私にはこの著作でユングが書いた箇所のうち、最後のほうは良く理解出来ない。共時性と真剣に向き合っている人にしか分からないのかもしれないと思う。
ただ、途中の、ESPや占星術に関する超心理学実験についての記述は今でも非常に良く納得出来る。(第二章)
ここに出てくる偶然を当てる実験では、実験を受ける人の興味・関心、情動があるとき(特に最初)は当たる確率が高くなる。しかし、それが無くなると確率が低くなるという。
それだけでなく、ユングに期待されて実験結果を統計処理した数学者にも、統計上の係数を間違えて「占星術に味方する方向」に結果を導き出してしまうという「錯誤行為」があったという。それも正直に述べられている。
また「実験数が増えるに従って当たる結果が悪くなった」という記述も見られる。怪しげな心理学者として見られがちなユングではあるが、この部分を読むと、ユングが科学や統計に対して至極マトモな考えを持っていたことがよく分かる。
私は、少々複雑な理化学機器、実験用の計測機器をチームで開発したことがある。私はソフト担当だったけれど、正直ソフトを組んでいる本人にも使っている数式のそのメカニズムは良く分からない。分からないけれど、入力されるデータと出力される結果の関係は予め予想が出来るので、結果の検証は出来る。とにかく他に例がないモノを開発する、ということで、かなりテンション上げて作り込んだ。テストした実験者たちもテンション高かった。
そうしていざ実験すると、、、いきなりすごくいい結果が出る。みんな大喜び。でも、回を重ねて実験し、みんな冷静になってくると、それほど良い結果が出ないことに気づいた。ぬか喜びである。
そのときも、「自然現象と心の構造 」を読み返した。そしてなるほどと思ったのだった。
別に、情熱や関心、テンションの高さが直接物理的に影響を与えたとは思わない。
問題は、そうした心理状態が無意識的な錯誤行為を起こしてしまうということだ。無意識に欲しい結果が得られる方向に誤りを起こしてしまう。必要ないデータを無意識に拾ってしまったり、逆に本来拾うべきだったデータや過程を何の気なしに捨ててしまったり。統計処理を誤ったり、結果のヒストグラム表示を都合の良いようにしてみたり。
無意識的なので、本人たちは誤ったことをやっていたという自覚も意識も無い。意識が無いから無意識なのだけれど。とにかくそれでぬか喜びしてしまう。
その時にはほとほと、データや統計と言っても、そこにはそれに関わった人間の心理的なバイアスがかかっているんだよな、ということを実感したのだった。情熱や関心、テンションの高さが間接的にデータや結果に影響を与えていたのだった。
翻って小保方さんのSTAP細胞についてだけれど、小保方さんがご自身で未熟だったと言われていることについてはさておいて、「よく考えずに画像を選んでしまった」とか、なんだかそれも「無意識的な錯誤行為」のような気がしてならない。
記者会見からは、STAP細胞が存在することへのとても高い熱意、テンションの高さを感じたのだったけれど、STAP細胞の客観性、一般の人へ分かりやすく説明するための情熱は、どうも涙に変換されてしまっていたように感じた。
心理的にも追い詰められて、本当に可愛そうだとは思うけれど、STAP細胞の有無については、とにかく第三者による複数の追試でそれが認められるしかないと思う。STAP細胞があることは信じたいけれど、今の時点で「STAP細胞はあります。」と言い切ってしまった小保方さんが残念でならなかった。
それにしても、スポーツ新聞や昼のワイドショーで小保方さんの問題がこんなに長々と騒がれるとは思わなかった。福島第一原発の汚染水問題の方がよほど大問題だと思うのだけれど。
(4/9記 4/12訂正加筆)
仕事で、iPS細胞がらみの装置の開発を断続的にやっていることもあって、4月9日の午後はネットに次々にアップされる小保方さんの会見や質疑応答の内容をテキストで見ていて、その日の夜、YouTube にアップされた録音を聴いた。
「頑張って研究しています。」という熱意だけは感じられた。ある意味いわゆる精神論。
「頑張ってますで通じるのは小学生まで。社会人なら結果を出せ。」新人の頃言われたことを思い出した。もちろん、小保方さんにそんなことを言うつもりも資格も私にはない。ただ、今問題になっているのはその結果としての冷徹な科学論文であって、情熱にあふれた、俗に言う精神論ではないのになとは思った。
と、そこで、以前に読んだユングとパウリの共著「自然現象と心の構造 - 非因果的連関の原理 - 」が読みたくなったので読み返してみた。
オカルト理論として悪名高い共時性(シンクロニシティ)について書かれている本だ。正直言って、今の私にはこの著作でユングが書いた箇所のうち、最後のほうは良く理解出来ない。共時性と真剣に向き合っている人にしか分からないのかもしれないと思う。
ただ、途中の、ESPや占星術に関する超心理学実験についての記述は今でも非常に良く納得出来る。(第二章)
ここに出てくる偶然を当てる実験では、実験を受ける人の興味・関心、情動があるとき(特に最初)は当たる確率が高くなる。しかし、それが無くなると確率が低くなるという。
それだけでなく、ユングに期待されて実験結果を統計処理した数学者にも、統計上の係数を間違えて「占星術に味方する方向」に結果を導き出してしまうという「錯誤行為」があったという。それも正直に述べられている。
また「実験数が増えるに従って当たる結果が悪くなった」という記述も見られる。怪しげな心理学者として見られがちなユングではあるが、この部分を読むと、ユングが科学や統計に対して至極マトモな考えを持っていたことがよく分かる。
私は、少々複雑な理化学機器、実験用の計測機器をチームで開発したことがある。私はソフト担当だったけれど、正直ソフトを組んでいる本人にも使っている数式のそのメカニズムは良く分からない。分からないけれど、入力されるデータと出力される結果の関係は予め予想が出来るので、結果の検証は出来る。とにかく他に例がないモノを開発する、ということで、かなりテンション上げて作り込んだ。テストした実験者たちもテンション高かった。
そうしていざ実験すると、、、いきなりすごくいい結果が出る。みんな大喜び。でも、回を重ねて実験し、みんな冷静になってくると、それほど良い結果が出ないことに気づいた。ぬか喜びである。
そのときも、「自然現象と心の構造 」を読み返した。そしてなるほどと思ったのだった。
別に、情熱や関心、テンションの高さが直接物理的に影響を与えたとは思わない。
問題は、そうした心理状態が無意識的な錯誤行為を起こしてしまうということだ。無意識に欲しい結果が得られる方向に誤りを起こしてしまう。必要ないデータを無意識に拾ってしまったり、逆に本来拾うべきだったデータや過程を何の気なしに捨ててしまったり。統計処理を誤ったり、結果のヒストグラム表示を都合の良いようにしてみたり。
無意識的なので、本人たちは誤ったことをやっていたという自覚も意識も無い。意識が無いから無意識なのだけれど。とにかくそれでぬか喜びしてしまう。
その時にはほとほと、データや統計と言っても、そこにはそれに関わった人間の心理的なバイアスがかかっているんだよな、ということを実感したのだった。情熱や関心、テンションの高さが間接的にデータや結果に影響を与えていたのだった。
翻って小保方さんのSTAP細胞についてだけれど、小保方さんがご自身で未熟だったと言われていることについてはさておいて、「よく考えずに画像を選んでしまった」とか、なんだかそれも「無意識的な錯誤行為」のような気がしてならない。
記者会見からは、STAP細胞が存在することへのとても高い熱意、テンションの高さを感じたのだったけれど、STAP細胞の客観性、一般の人へ分かりやすく説明するための情熱は、どうも涙に変換されてしまっていたように感じた。
心理的にも追い詰められて、本当に可愛そうだとは思うけれど、STAP細胞の有無については、とにかく第三者による複数の追試でそれが認められるしかないと思う。STAP細胞があることは信じたいけれど、今の時点で「STAP細胞はあります。」と言い切ってしまった小保方さんが残念でならなかった。
それにしても、スポーツ新聞や昼のワイドショーで小保方さんの問題がこんなに長々と騒がれるとは思わなかった。福島第一原発の汚染水問題の方がよほど大問題だと思うのだけれど。
(4/9記 4/12訂正加筆)
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